Tachihara Michizo Memorial Museum
展示のご紹介 2005年1-12月
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★特別企画「立原道造の生涯と作品1-5」について
詩人であり、将来を嘱望された建築家でもあった立原は、詩集『萓草に寄す』『曉と夕の詩』を代表作として、
青春の憧れと悲哀を音楽性豊かな口語で謳いあげ、志なかばにして、24歳8か月で夭折しました。
立原の誕生日は1914年7月30日、忌日は1939年3月29日、記念館開館日は1997年3月29日のため、昨年は、
1年を通して、“立原生誕90年・没後65年・開館7周年”を記念した特別展「立原道造の生涯と作品1-4」
を開催し、皆様に多様な作品世界をご覧いただきました。
2005年は、前年に引き続き特別展「立原道造の生涯と作品5」を3月20日まで開催しますので、ご来館の上、
ご高覧いただければ幸いに存じます。
●2005.1.4-3.20 立原生誕90年・没後65年・開館7周年記念特別展
「立原道造の生涯と作品5 パステル画秀作展」
本展は、立原の66回目の忌日(2005.329)を前に「立原道造の生涯と作品」の追加企画として
準備しました。
立原がパステル画を本格的に描きはじめたのは、府立三中の絵画部時代からで、絵画に示された
才能も高く評価されています。現存する作品は、13歳から17歳(1927-31年)頃の制作と推定
され、その画題は、多岐にわたっています。
本展では、当館で現在確認可能なパステル画約130点から30余点の秀作を選び、併せて同時期作
の詩歌、日記、ヒアシンスハウス資料、誕生から晩年までの肖像写真や遺品などを展観します。
※「主な出展リスト」はこちらをご覧ください。
●2005.3.26-6.26 開館8周年記念特別展
「立原道造が求めた形象[かたち]自装詩集を中心として」
立原が“形象[かたち]”として遺そうとした詩集は、現在7種が確認されています。
その内の4種は手づくり詩集『さふらん』『日曜日』『散歩詩集』『ゆふすげびとの歌』で、
公刊された『萱草に寄す』『曉と夕の詩』も自装詩集でした。そして、残る『優しき歌』は
夭折のため未刊となり、没後に堀辰雄によって編まれました。
それらをつぶさに眺めると、それぞれが異なった容姿を見せ、その詩集特有の世界へと誘う
装置を形成しているようにみえます。
本展では、上記7種の詩集や関連詩稿、併せて、立原がエッセイ「風信子」で言及した書籍
(『薔薇叢書』『きくぢしやそう』『愛の詩集』『月に吠える』『聖三稜玻璃』『草わかば』
『愛する神の歌』『緑のハインリツヒ』)や詩集の挿絵として使用したコズマの関連資料、
ミュラーの詩集『Winterreise』から3篇を筆写し、インゼルの絵本を模したカットをあし
らった未完成の手づくり詩集、『優しき歌』関連草稿や広告文案等を展観することによって、
立原が求めた新たな形象を皆様に思い描いていただければと願っています。
※「主な出展リスト」はこちらをご覧ください。
●2005.7.1-9.25 夏季企画展
「立原道造が綴った真情 美しい書簡に託して」
立原の生涯は、24歳8か月と短いものでしたが、遺された書簡は多く、660通余になります。
東大工学部建築学科同級生の小場晴夫は、《葉書の面の構成、特徴のある字体とそのくばり方、
ある時は絵を入れたり、色鉛筆を使ったりして、それなりに一つの絵、一つの美になっていま
す。》と語っています。本展では、小場が《無類に美しい》と称讃した立原の書簡を中心として、
来簡、詩稿、建築設計図等の関連資料に加えて、ヒアシンスハウスの模型や原図、遺品等を展観
することによって、立原が〈書簡に託した真情〉を描こうと試みます。
※「主な出展リスト」はこちらをご覧ください。
●2005.10.1-12.25 秋季企画展
「立原道造・建築家への志向5 『立原道造賞』創設を記念して」
このたび、建築情報専門誌『日経アーキテクチュア』主催の「アイデアコンペ」中に、若手建築家を
対象とした「立原道造賞」が創設されました。
本展では、賞の創設を記念し、遺された多くの設計図やエスキス等から秀作を選び展観することにより、
立原が志向した建築家像を描こうと試みます。
主な出展品には、東大建築学科時代の課題設計図・卒業設計のエスキス・卒業論文の下書・講義録等、
石本建築事務所時代の石本氏自邸・秋元邸・豊田氏山荘・ヒアシンスハウスの設計図やエスキス等、
関連資料として、詩稿・書簡・書籍等があります。
※「主な出展リスト」はこちらをご覧ください。
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