Tachihara Michizo Memorial Museum
展示のご紹介 2002年1-12月

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●2002.1.3〜3.24 新春企画展
 「立原道造パステル画展5 日本橋風景を中心として」


pasu4  本展は、パステル画を中心として立原の作品世界を描く企画の第5回目として
 開催します。
 立原がパステル画を本格的に描き始めたのは、府立三中の絵画部時代からで、
 学友会大会に毎年作品を出品しては、高い評価を得ていました。
 現存するパステル画約100点の殆どは、三中時代の13歳から17歳(1927年
 から1931年)頃に制作されたと推定されます。

  主な出展品のうち、日本橋の風景を描いたパステル画には、関東大震災(1923年9月)
  後の1929年に再建された「立原道造商店」のヴェランダから見下ろす構図が多く見られ、
  荒廃から次々と復興していく町の様子が、鮮やかな色彩で描かれています。
  また、「二匹の魚(仮題)」「少女とトランプ(仮題)」「スプリング」などの心象ス
  ケッチともいえる作品には、ヨーロッパモダニズムの影響が見られ、青春の心の詩とで
  もいえるような息づかいが感じられます。
  さらに本展では、日本橋橘町の生家の設計図、「立川屋」(商店の屋号)の印袢纏、大
  福帳、家紋入袱紗などの遺品に加えて、初期詩篇の草稿28点などを展観することにより、
  詩誌『四季』で活躍する《ソネット詩人・立原道造》には、うたわれることがなかった
  《日本橋》に焦点をあててみました。
  詩人としては、まだ未完成だった立原が、身近な題材を通して描こうとした作品世界を、
  どうぞご鑑賞ください。

●2002.3.30〜9.29 開館5周年記念特別展
 「立原道造と杉浦明平―往復書簡を中心として―」


ayu  立原道造と杉浦明平(1913.6.9-2001.3.14)は、1931年5月、旧制第一
 高等学校の新入生歓迎短歌会で出会いました。立原より1歳年長で2年生の杉
 浦は、当時、短歌会の世話役をしていましたが、後に「わたしはカチンカチン
 のアララギ派であつたのに、立原は、当時口語律を唱えていた前田夕暮の『詩
 歌』の会員だつた。」と回想しています。


  翌年、立原は、上級生に伍して一高文芸部の委員に選ばれ、杉浦とも親しくなりました。
  その後杉浦は東大国文学科に、立原は建築学科に進学し、1935年5月、猪野謙二、寺田
  透等と同人雑誌『未成年』を創刊しました。
  出会いから8年、立原と杉浦は、多感な青年時代を、お互いの持つ世界が異なっているこ
  とを知りつつも対話を重ね、生涯の友としての親交を深めて行きました。
  本展では、現存する往復書簡全105通を中心に、杉浦が立原に贈った手づくりの『少年
  歌集1931』等、初公開の関連資料を展観することにより、二人の辿った青春の日々を
  描こうと試みます。
  この特別展は、開館5周年を記念して会期を6か月にし、会期中に一部展示変えを予定し
  ています。

●2002.10.3〜12.24 秋季企画展
 「立原道造・建築家への志向3―大学時代の設計図を中心として―」


ayu  24歳で夭折した詩人立原道造は、将来を嘱望された建築家でもありました。
 本展は、1999年夏と2000年秋に開催した「建築家への志向」展の続編として、
 開催します。そして、東大建築学科で制作した課題の提出図面を中心に展観する
 ことにより、立原が志向した建築家像を描こうと試みます。
 主な展示品としては、初公開の設計図「新橋駅試案」「住宅の門」「寺社建築」
 をはじめ、大学時代の課題設計図、同時期の自筆ノートや書簡等があります。


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