Tachihara Michizo Memorial Museum
展示のご紹介 2001年1-12月
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●2001.1.3〜3.18 新春企画展
「立原道造パステル画展4」
立原がパステル画を本格的に描き始めたのは、府立三中の絵画部時代からで、学友会大会に
毎年作品を出品し、高い評価を得ていました。そして、現存するパステル画のほとんどは、
この時代(1927-31年)に制作されたと推定されます。
立原は、緑色が好きだったようで、ルフランのパステルを緑だけで200種類も揃えていたと
伝えられています。好みのパステルを手に描き出された作品世界には、単なるリアリズムに
とどまらず、ヨーロッパモダニズムの影響が見られます。そして、青春の心の詩とでもいえ
るような夢や息づかいが感じられます。
本展は、パステル画を中心として立原の作品世界を描く企画の第4回目として開催します。
主な出展品には、初公開15点を含むパステル画28点余をはじめとして、初期詩篇の草稿、詩集や書簡、
懐中時計などの遺品があります。
特に、初公開の「お時計の中には(仮題)」をはじめとする初期詩篇には、フォルマリスムの実験的傾
向を持つ作品が多く、立原が、“ソネット”という十四行詩型を自らのものにするまで、様々な詩型を
試み、模索していた様子がうかがえます。
●2001.3.24〜7.1 開館4周年記念特別展
「立原道造の“物語”―『鮎の歌』を中心として―」
「鮎の歌」は、『文藝』第5巻第7号(昭和12年7月号)に発表された6章からなる物語で、
愛を喪失した青春の哀しみが、浅間高原を舞台に描かれています。
制作時期は、友人宛の書簡などから、卒業論文「方法論」提出後の1936年12月下旬から、
1937年1月15日と推定されます。
本展で初公開する「鮎の歌」1章から4章の初稿は、横罫入用箋19枚に、青紫色鉛筆で縦に
書かれていますが、3章の後半は失われ、17枚目裏には書き込みがあります。
初稿完成時は、神保光太郎宛の同日付書簡から1937年1月12日と推定されます。
初稿の内容はほぼ完成稿に近いものですが、「削除の美学」ともいえる推敲の跡が残されていることや、
初稿での「私」が「僕」に修正されていることなどから、立原の作品制作過程を考察する資料として貴
重なものといえましょう。
本展では、初稿19枚を中心として、詩集、雑誌、書簡などにより、立原が物語に托して描こうとした世
界の展観を試みます。なかでも、同時期に刊行された第一詩集『萱草に寄す』と第二詩集『曉と夕の詩』
は、収録された20篇の詩をご鑑賞いただけるように、すべてのページを展示します。
●2001.7.5〜9.30 夏季企画展
「立原道造の手づくり詩集―『散歩詩集』を中心として―」
立原道造は、24歳8か月という短い生涯の間に、自作を浄書し、自ら装幀した一部だけの
手づくり詩集を何種類か制作しています。そのなかで、現在詳細が確認されている詩集と
しては、『さふらん』『日曜日』『散歩詩集』『ゆふすげびとの歌』があります。
いずれも、身近にあった材料を用いた自筆・自装の作品で、デザイン文字と施された彩色、
造本や化粧箱等の細工には、立原の愉しむ心が溢れています。
本展では、『散歩詩集』を中心として、自らの作品世界を<手づくり詩集>という形象に
結晶させようとする具現化への〈意志〉を展観することにより、造形家・立原道造を描こうと試みます。
●2001.10.4〜12.24 秋季企画展
「立原道造と小場晴夫―大学時代の友として―」
立原道造と小場晴夫は、1934年4月、東京帝国大学建築学科で出会いました。
小場は、立原没後、『四季』立原道造追悼号で「短い交友の月日の間唯美しい楽しい生活の
思出で充たされてゐる丈である。」と 回想しています。そして彼の才能を惜しみ、一周忌に
『新建築』で追悼特集を編むことにより、無名の青年建築家・立原の名を世に示すとともに、
今日まで残す礎を築きました。また、建築家・立原の語り部として、生涯、立原と過ごした
青春の日々を大切にしていました。
小場は昨年、学生時代を過ごした江古田の実家に近い慈生会病院で86歳の生涯を終えましたが、そこは、
立原が逝った東京市立療養所とも近接した場所でした。
本展では、小場宛書簡のうち現存する全64通を中心に、関連資料として立原が描いた初公開のスケッチ、
『薔薇叢書』『建築』『四季』『新建築』『南北』等の書籍、小場の原稿や遺品等を展観することにより、
二人の篤い友情を描こうと試みます。
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