Tachihara Michizo Memorial Museum
風のたより No.1:展示作品紹介

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●現在、立原道造記念館で開催中の秋季企画展「立原道造・建築家への志向2」の展示作品の中から、
 初公開の設計図「アパアトメントハウス・試案」(全5枚)の一部をご紹介します。
 この作品は、東京大学工学部建築学科の課題設計図で、製図用紙(Aゼロ)5枚に描かれています。
 当時の立原は、大学2年生で20歳。建築家としては未完成でしたが、詩人としては、ソネットという
 詩形を得て、正に《飛翔の時》でした。


アパアト1

アパアト2

 「アパアトメントハウス・試案」(全5枚)は、「建築計劃及製圖第二」の課題設計図で、
 1935年5月14日に提出されました。立原は、在学中の3か年に渡ってこの科目を履修し、
 都合18単位を得ています。課題は、毎月1回与えられていたようですが、田中一三宛封書
 [1936年4月22日]に次のように記されています。

  そのほか学校では月にひとつづついろいろな建築を設計します。いまホテルをつくつて
  ゐます。それが僕たちの学校勉強なのです。設計は現代建築なので、ヘラス・ゴチツク
  などの憶ひを、どう表現するか考へるのはむずかしいのです。今日、目に触れる建築に
  は、ただ近代の意匠だけあつて、何の表現もないやうにおもひます。銀行などの、ギリ
  シヤの列柱を並べた、復興式建築以外に、あたらしくヘラス・ゴチツクのいのちを現代
  に表現する新古典派の道こそ今日以後の建築家に課せられた問題ではないかと考へてゐ
  ます。

 当時の立原は、同人雑誌『未成年』を創刊するなど、詩人としての慌ただしい日々を送って
 いたために、製図作成の時間が十分に取れなかったようで、図面によっては墨入れがなされ
 ていない部分もあるなど、この作品は、未完成であったと思われます。
 建築を学びはじめて僅か1年余、設計内容も未熟なものですが、パースには時間をかけたよ
 うで、楽しんで描いていた様子がうかがえます。
 中でも立原らしいと思われる部分は、パース1階の正面に、錆朱色に縁取られたアール付の
 ショーウィンドウが描かれ(平面には「商店豫定部」との記入有)、ドイツ語の看板「DER
 SCHWARZE WALFISCH(黒鯨亭)」が掲げられている点です。
 「黒鯨亭」とは、当時日本で上映された映画の題名で、マルセル・バニヨルの戯曲「ファニー」
 を映画化したものです。あらすじは、「未来へのはるかなる夢を植えつけ、そしてその裏に
 ひそむ現実の冷たさに、人生をみつめる眼を教えられる」となっています。
 また、平面プランは、当時の日本を席巻しつつあったインターナショナルスタイルを採用して
 います。「アパアトメントハウス」という形態の集合住宅も、当時はそれほど普及していない
 もので、課題としては興味深いものといえます。そして、地下には設備系統のボイラー室が配
 され、各部屋には温水の立て掛け式の暖房器具が見えるところなど、時代を感じさせるものと
 言えましょう。


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