Tachihara Michizo Memorial Museum
立原道造記念館シンボルマーク「笛を吹く少年(仮称)」について

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●「主な収蔵品−『萱草に寄す』のカット−」
  館報『立原道造記念館』創刊号(1997.3.29発行)の掲載記事から

 立原道造が1937年(昭12)に刊行した第一詩集『萱草に寄す』で使用したカットの一つに、「笛を吹く少年(仮称)」がある。このカットは、立原道造記念館のシンボルマークとしても用いられているが、出典については未だ不明な点が多い。
 カットには、丸顔のしなやかな体系の少年が、花に彩られた叢の切り株に腰を掛けて、笛を吹く姿が描かれている。
 立原は、第二詩集『曉と夕の詩』のカットについて「風信子(二)」で、「黒く小さい活字で鏤ばめられてある一篇の詩は、暗い緑の線に縁どられ、ひとつの繪に飾られる。その繪は、ブタペストの工藝家ルウドウイヒ・コズマの作品(1909年頃のもの)を輪郭とおなじ暗い緑の線で印刷した。」と書いている。しかし、このカットは、木陰で本を読む青年を描いたものであり、『萱草に寄す』でも使用されている。それでは、もう一つのカット「笛を吹く少年(仮称)」の作者も、同じくコズマなのであろうか。
 1996年1月5日から2月12日を会期として、東京国立近代美術館で「ドナウの夢と追想―ハンガリーの建築と応用美術[1896-1916] 」が開催され、その展示品の中に、ハンガリーのコズマ・ラヨシュが内装をてがけた「ロージャヴェルジ楽譜店」の装飾の一部が、写真パネルとして展示された。このパネルはモノクロではあったが、二階通路の上部装飾の中に、「笛を吹く少年(仮称)」に良く似たレリーフが認められた。
 そのレリーフは、北欧系特有ともいえる細長い顔の精悍そうな青年が、壁のようなものにもたれかかるように立ち、笛を吹いている姿を描いたものであった。
 立原のいう「ルウドウイヒ・コズマ」が、このレリーフの作者コズマ・ラヨシュと同一人物とした場合、笛、服装など両者のモチーフが酷似していることから、「笛を吹く少年(仮称)」がコズマの作品と推定することも可能といえる。
 しかし、詩集のカットは、このレリーフとは詳細部分や筆使いが異なっている。むしろ、立原が追分の叢などを描いたペン画に近いとの印象すら受けるものであることから、このカットは、立原が、コズマの作品を基に描いたものとも考えられはしないだろうか。
 いずれにしても、立原が、詩集のカットをどのようにして入手したのかは不明である。
 なお、この展覧会は、東京に先立ち京都国立近代美術館でも開催された。

 コズマ・ラヨシュ(Kozma Lajos 1884-1948)
 ハンガリー世紀末建築の第一世代で活躍したコズマは、芸術家集団「ケーベ」および建築家グループ「フィアタロク」のメンバーで、装飾家としては、彼が設立した「ブタペスト工房」で多くの家具作品を製作した。これらは、同時代のヨーロッパ装飾芸術の高水準な作品と並び賞されるものであり、その代表的なものとしては、「ロージャヴェルジ楽譜店」の調度がある。当時の建物は、十数年前の火災で内部が消失したが、現在でもこの楽譜店は存続している。(宮本則子)


●「主な収蔵品−『萱草に寄す』のカット(続)−」
  館報『立原道造記念館』第9号(1999.3.29発行)の掲載記事から

 立原道造が1937年に刊行した第一詩集『萱草に寄す』で使用したカット「笛を吹く少年(仮称)」は、現在、立原道造記念館のシンボルマークとして用いられている。
 このカットについては、館報『立原道造記念館』創刊号(1997年3月29日発行)の私論で、「出典については未だ不明な点が多い。」として、以下のように誌している。
 1996年1月5日から2月12日を会期として、東京国立近代美術館で「ドナウの夢と追想―ハンガリーの建築と応用美術[1896−1916]」が開催され、その展示品の中に、ハンガリーのコズマ・ラヨシュが内装をてがけた「ロージャヴェルジ楽譜店」の装飾の一部が、写真パネルとして展示された。このパネルはモノクロではあったが、二階通路の上部装飾の中に、「笛を吹く少年(仮称)」に良く似たレリーフが認められた。(中略)/立原のいう「ルウドウイヒ・コズマ」が、このレリーフの作者コズマ・ラヨシュと同一人物とした場合、笛、服装など両者のモチーフが酷似していることから、「笛を吹く少年(仮称)」がコズマの作品と推定することも可能といえる。
 1998年12月、白井敬尚氏から、氏所蔵のスイスの月刊誌『TM』に、このカットが掲載されているとうかがい早速に拝借した。氏によると、1950〜70年代にかけて、世界中のタイポグラファに最も影響を与えた雑誌として有名であり、現在でも「スイスのタイポグラフィの良心」として、その繊細なデザインは、少なからず影響を与え続けているとのことである。
 『TM Nr.6 1990 109.Jahrgang』の「Der Buchgestalter Imre Kner 」と題された論文に、「笛を吹く少年(仮称)」は掲載されていた。それは、立原が詩集『萱草に寄す』で用いたカットと完全に同一のものであり、以下のキャプションが付されていた。

★イメージ&キャプション
「笛を吹く少年」
 翻訳すると、「ラヨシュ・コズマの図案による木版ヴィネット1921年」となる。(ヴィネットは「書物の扉などの小カット」の意。)
 論文中には、この9と付番されたヴィネットの初出に関する記述はない。しかし、「コズマは、1920年から23年にかけて、およそ220点の本の装飾画と120点の飾り縁を制作した」との記述が見られる。また、コズマが、イムレ・クネール工房から出版された『三つの滴双書』(1920年〜)、『クネール古典双書』全12巻(1921年〜)の、装飾・挿画・造本について協力していたことなどを考慮すると、このヴィネットは、これらの双書のために制作された可能性もあると言える。
 『TM』誌によって判明したことは、立原はコズマの「9番ヴィネット」を写し、自らの第一詩集を飾るカットとして使用したということである。
 館報創刊号には、「立原が追分の叢などを描いたペン画に近いとの印象すら受けるものであることから、このカットは、立原が、コズマの作品を基に描いたものとも考えられはしないだろうか。」と誌したが、コズマの作品との出会いが立原のペン画に影響を与えた、との推測が可能となった。
 しかし現時点では、同報に「いずれにしても、立原が、詩集のカットをどのようにして入手したのかは不明である。」と誌した結論を、残念ながら書きかえることができない。(宮本則子)


●「立原道造の自装詩集 未刊詩集『優しき歌』が遺したメッセージ」部分抜粋
  「特集=詩集のつくり方」『ユリイカ』第35巻第5号(2003.4.1発行)の掲載記事から部分抜粋

【付記】二冊の詩集に使用されたコズマの作品
 立原道造が生前に刊行した二冊の詩集『萱草に寄す』と『曉と夕の詩』には、《カット》として「木蔭で本を読む青年(仮称/木蔭)」と「笛を吹く少年(仮称/少年)」が使用されている。立原のエッセイ「風信子」によると、《その絵は、ブダペストの工芸家ルウドウイヒ・コズマの作品(一九〇九年頃のもの)》とある。ルードヴィヒ・コズマLudwig Kozma(ハンガリー名Kozma Lajos 1884-1948)は、ハンガリーの建築家、室内装飾家、装幀挿絵画家である。『コズマ・ラヨシュの仕事』をひもとくと、「少年」が扉用標章(エンブレム)として、「木蔭」がアルファベットをあしらった口絵として紹介されている。立原は、コズマの二つの作品を、どのような経緯で知り得たのであろうか。
 立原の蔵書に『ドイツの芸術と装飾』の一九二二年三月号がある。この雑誌は、ドイツを中心にヨーロッパの装飾芸術を紹介する雑誌として、当時の日本でも読まれていたものである。そして、この雑誌の一九二三年四月号には、二つの作品が《本の装幀家としてのルードヴィヒ・コズマ》(エーメリッヒ・クネル)という紹介文を附して掲載されている。また、この雑誌の編集者コッホが関わっていたもう一つの雑誌『室内装飾』にも、一九二一、二二年にコズマ特集が組まれ、コズマの建築家、室内装飾家としての側面が紹介されている。コズマの紹介文を記したエーメリッヒ・クネルEmerich Kner(ハンガリー名Kner Imre 1890-1944)は、ハンガリーのクネル出版社の創始者クネル・イジドルKner Izidor(1860-1935)の息子である。コズマは、このクネル出版社の造本・装幀に広く携わっていたようである。
 更に、二つの作品の使用例を挙げれば、「文学遺産」双書として刊行された世界名著傑作選中では、「木蔭」が口絵として中に入るアルファベットを違えて三箇所で用いられているほか、『一九二二年鑑』では、「少年」が扉絵として、「木蔭」が口絵として使用されている。
 以上のことから考察すると、立原が、当時購読していた雑誌などから、コズマの作品を知り得る環境にあったと推測するのは専断であろうか。(宮本則子)

 ※本稿をまとめるにあたって、小橋恵美子、配島亘、山田浩平各氏にご協力いただいたことを、謝意とともに記しておきます。
  詳細は、掲載誌『ユリイカ』をご参照ください。


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